« フォークソング | メイン | 家康は上杉領内を五箇所から攻撃することを »

共産主義政党の一党独裁を確立した

第2次世界大戦後、アメリカ合衆国との対立が激化し、ソ連は東ヨーロッパの各国(ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、アルバニア)にソ連に従属する各国の共産主義政党が独裁支配する、社会主義国家を建設し、これらを衛星国家とした。抵抗の強かったチェコスロヴァキアでは非共産党系の政治家を暗殺、処刑するなどして、共産主義政党の一党独裁を確立した。ポーランドも、ソ連の圧力によりロンドン亡命政府系の政治家は逮捕されたり、亡命に追いやられ、1948年ポーランド統一労働者党(共産党)によるソ連式の一党独裁、社会主義体制へ移行した。 1950年には中華人民共和国と中ソ友好同盟相互援助条約を締結した。さらに1955年にはワルシャワ条約機構を東欧諸国と結成した。1956年にはニキータ・フルシチョフがスターリン批判を行ったためソ連に抑圧されていた東欧諸国に動揺が走ったが、ハンガリー動乱、ポーランド暴動などの自由主義運動を武力で鎮圧した。ハンガリー動乱では、ソ連はハンガリーの民衆2万人をソ連軍を投入して殺害し、ナジ・イムレ首相などのハンガリー政府閣僚を含む約1200人を処刑した。1968年のチェコスロバキアの自由主義運動「プラハの春」も、ソ連が率いるワルシャワ条約機構軍を投入して弾圧した。 1962年にはキューバ危機が起き、米ソ戦争の危機が高まったが、これを回避し、翌年にはケネディ大統領の間で、部分的核実験停止条約が結ばれた。フルシチョフ失脚後のコスイギン、ブレジネフの時代には中ソ紛争が勃発、さらにアフガニスタン侵攻などの事件が起きた。米ソ会関係は緊張状態にあり、1980年のモスクワオリンピックには西側諸国がボイコットとし、次のロサンゼルスオリンピックでは東側諸国がボイコットをした。またロナルド・レーガン大統領はソ連を「悪の帝国」と批判し、ソ連と軍拡競争を展開した。ソ連はアメリカなどNATO加盟国との冷戦や計画経済の行き詰まりにより次第に疲弊し、東欧諸国の民主化やソ連からの離反も始まった。1985年に書記長となったミハイル・ゴルバチョフはペレストロイカ政策を進めアフガニスタンからの撤退を決定。ジョージ・ブッシュ大統領との会談で冷戦の終結を宣言した。

外国語・語学関連学習ひろばネット
交通地図・海外・国内関連リゾートサイト
若返り・香水関連美容全国通信リンクサイト
アプレゲール 経済生活ガイド
新築・仏壇関連ライフ暮し百科情報
介護・老人ホーム関連健康プラザ紹介
花・贈り物関連総合ショッピング全国情報ガイド
資格・学習関連教育ひろばサーチ
遊園地・チケット予約関連ドライブ旅行サイト
理容・脂肪吸引関連美容・コスメショップ検索エンジン

冷戦の終焉とソ連の崩壊
1991年12月25日にソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、同時に各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦が解体され消滅した。 これにより前身のボリシェヴィキ時代を含めると1917年以来74年間続いた、ソ連共産党の一党独裁による社会主義体制が名実共に崩壊した。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.benibana86.com/blog/mt-tb.cgi/1792

About

2009年04月25日 13:49に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「フォークソング」です。

次の投稿は「家康は上杉領内を五箇所から攻撃することを」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35